モロッコ(ワークキャンプ続編)

30日目: 2010年12月29日  「砂漠へ」

 ザゴラはかつて隊商貿易の中継地として栄えた町です。現在ではマアミド以南の砂漠を目指す観光客の起点となっているため、小さい町ながら観光は重要な産業です。我々にとっても砂漠ツアーはメインイベントであり、1泊2日かけて行ってきました。そこは圧倒的な非日常の感動がありましたが、一方で砂漠の日中夜の寒暖差を体験する厳しいものでもありました。

 ザゴラから南へ100km、マアミドというモロッコ最果ての地へ行きます。(アルジェリア国境までわずか45kmだそうです。)ここで乗り物を車からラクダに代えていよいよ砂漠へ出発します。砂漠といっても見渡す限りサラサラの砂地が広がっているわけではなく(それは一部です)、土、石、岩、草、木、などが乾燥しきった中に転がったり生えていたりします。ラクダの乗り心地は悪いですが、砂地を歩くのは足をとられて進みにくく大変です。そう、砂漠は体力を消耗する、という言葉がぴったりです。強い日差し、乾燥、砂が飛んでくるためターバンで目以外を覆います。かつて隊商貿易商が砂漠を越えをしていたのは命がけだったと思います。

 今夜の宿泊地には簡易テントが用意されていました。日が沈むと闇に包まれます。テントの中に入って暖をとります。広い地球のだだっぴろい砂漠の中にぽつんと自分がいると想像すると孤独が襲います。身を寄せ合う仲間がいるという連帯がその空間には生まれる気がしました。それがたとえ観光で来ていてもそう思えてくるのです。大自然の偉大さを前にすると人間の小ささを感じずにはいられません。

 タジンでお腹を満たした後、外に出て火を焚き集います。しかしその頃私は既に冷え切っていたため、先程思った感慨深さなど置き去りテントの寝袋に直行しました。それでも寒くて、足先が冷え切って寝付けない辛い夜を過ごしました。砂漠の寒さ、乾燥しきった地の寒さは今までに体験したことのない種類の寒さでした。(刺さるような寒さです。)

31日目: 2010年12月30日  「モロッコ式ウエディング」

 砂漠のご来光で朝を迎えました。夫は見られたのですが、私は一歩間に合いませんでした。寒さで寝た気がしませんでしたが、私だけでなく他の多くのメンバーにとっても厳しい夜だったようです。パンに木の棒きれを刺して火であぶりあたためて朝食です。日が昇ると途端に暑くなってきますから砂漠では油断できません。気持ちの良い青空の下ラクダの背中に揺られながら帰路につきます。

 この日の午後はフリータイムだったのですが、地元の人と一緒にモロッコ式公衆浴場であるハマムに行きました。ブラックソープという黒いグミのような石鹸と、垢すりミトンを購入してから入場します。ハマムはお風呂ではなく、ぬるくて湿気の多いサウナのイメージです。空いているスペースを確保した後、バケツを持って蛇口の前に並び、2つの蛇口から出るお湯と水を混ぜてちょうどよい温度にしたものを持って戻ります。これを使って各々垢すりをしたり、誰かにやってもらったりします。ここは地元女性の憩いの場という感じです。普段はジュラバという長袖の長いワンピースのような服と、短いスカーフを頭に巻き着けた女性が多い中で、ハマムの中では当然裸なので同性ながらややギャップを感じるものです。でも公衆浴場の文化がある日本人としては裸の付き合い?!憩いの場としてのハマムの役割が理解できます。実用的な問題としても、砂漠地帯で砂が飛散しているため、汗を流して垢を落とすのは大事なことのようです。

 ハマム体験に続き、夜にもすごい体験が待っていました。それはサプライズで突然やってきました。今回新婚旅行中だということを知ったモロッコ人スタッフが気を効かせ、モロッコ式ウエディングセレモニーを用意してくれたのです。全員が集まっていたところに楽団が入ってきて歌うわ踊るわすごい騒ぎになり、その間我々は外に連れ出され衣装に着替え、メイクをしてもらいました。(このメイクがまた驚きでクレオパトラみたいになりました、笑。なんといってもアジア人のメイクなどしたことないため、典型的な日本人の顔を前にひどく時間がかかりました)会場に戻ってからは、デーツの実を食べて、ミルクを一口飲んで、という儀式の後、指輪交換、私は手にヘナが施されました。(5日くらいもちました)お祭り好きのモロッコ人にとっての究極的なイベントでもある結婚式という極めて貴重な経験をさせてもらいました。おかげさまで12月30日は第二の結婚記念日になりました、笑。

32日目: 2010年12月31日  「カウントダウン」

 刺激の多かったここ数日間の疲れが出たため午前中の陶芸は休みましたが、午後からは復活です。復活早々またまたキツイ活動が待っていました。自転車で小学校を訪問する、というものだったのですが、遠足の時と同様に、川越えあり、砂地あり、砂利道あり、の道を自転車(マウンテンバイクのような立派なものではありません)で行くというものです。特に砂地を自転車で走るのはかなり無謀です!大変な分、目的地に到着するのは感慨深いもので、子供たちを見るとほっとしました。砂漠地帯は夏休みが3か月と長いため、冬休みは正月の1日だけです。校舎の施設もあまりよくなさそうだし、まだ学校に入れないはずの幼児までいたのですが、これがモロッコの普通の小学校だということでした。私たちは文房具を買って子供たちにあげるようにと言われていたので用意していました。この文房具を子供たちに渡すという形式的なセレモニーはあまり気持ちの良いものではありませんでした。学校側としては配慮してくれたことかもしれませんが、後で学校側でまとめて子供たちに公平に配分してもらったほうがよかったように思います。これについては参加者それぞれに思うところがあったようです。

 大晦日である今夜をどう過ごすかあれこれ考えた結果、近くの4つ星ホテルのカウントダウンパーティに行こうということになりました。モロッコ人スタッフが気を使ってくれたのか、それとも自分たちが行きたかったのか定かではありません。会場内はブブゼラの音が響き渡り(昨日の結婚式に来てくれた楽団がいました)歌うわ踊るわの騒ぎです。フランス人が目立ちますが、モロッコ各地の富裕層も多かったです。ここではアルコールも買えます。全体的にお金持ちと外国人のパーティという感じでこの雰囲気にいまいち乗り切れませんでした。それでも一生の中で間違いなく記憶に残る年越しになりました。

33日目: 2011年1月1日  「ワークキャンプ最終日」

 新しい年のはじまりをモロッコで迎えました。とはいえ特別な食べ物や行事があるわけでもなく普通の日です。日本人としては正月気分が盛り上がりませんが、郷に入っては郷に従えです。陶芸コースは昨日で終了してしまったため、今日は一日中クラウンワークショップに参加しました。これが非常に面白く勉強になりました。段階的に様々なレッスンがあるのですが、中でもモロッコの現状を事例として扱いどう解決するかを身体を動かしながら考えるものが興味深いです。例えば、4名で「抑圧する人、されている」という状態を表現し静止ます。この状態から何かひとつの動きを変えることで全体にどのようなインパクトがあるかを見ていきます。例えば、頭を押さえていた手を肩に回してみると、途端に友好が表現されます。これを見ている人がひとりずつ動きを変えるよう指示していくのです。様々な国の人が集まって動くということはファシリテーターの存在が重要です。フランス語と英語を巧みに使い見事なファシリテートでした。

 その後はモロッコ人の家にお茶に呼ばれたり、おみやげにスカーフを購入したり(写真)、荷造りをして過ごしました。いつもなら食事は現地の女性3名が作ってくれていたのですが、正月だけはお休みだったため、スタッフのモロッコ人が外でケバブを焼いてくれました。男の料理です。いつもはハリラという豆のスープ、モロッカンサラダ、パンが基本で、これにメインおかずとしてタジン、ラム肉、クスクスなどが日替わりででてきました。修了式を終えて明日はいよいよ解散します。